孤独な哲学者 後期ニーチェの生涯
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900年)は、1869年、24歳の若さでバーゼル大学の文献学教授となり、作曲家ワーグナーと親交を結びました。しかし、1876年、バイロイト劇場で試演された<ニーベルンゲンの指輪>以来、ニーチェは心理的にワーグナーから遠ざかり、1878年、両者の親密な関係は最終的な破局を迎えました。この記事では、ワーグナーと決別し、自由思想家として自立して以後の時期を...
View Articleバレエ音楽<ジゼル> アドルフ・アダン
バレエ音楽<ジゼル>(1841年)は、アドルフ・アダン(1803~1856年)が作曲したものです。そのお話は、幻想的な悲恋の物語で、精霊ウィリになってしまったジゼルと、恋人ロイスとの永遠の別れが語られています。以下、アドルフ・アダンの略歴と、<ジゼル>のストーリーをご紹介致します。 (1)アドルフ・アダン(2)ジゼル(3)参考図書(4)関連記事...
View Article芥川龍之介「文学好きの家庭から」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「文学好きの家庭から」は、1918年に発表されたものです。この年、芥川は海軍機関学校の英語教師を務めながら、「地獄変」(5月)、「蜘蛛の糸」(7月)、「奉教人の死」(9月)、「枯野抄」(10月)などの、初期の傑作を世に送り出しています。今回の作品は、簡潔な文章ながら、江戸趣味の濃い芥川家の環境が作者に与えた影響を想像させてくれる、興味深い作品と言えます。以下、詳細...
View Article芥川龍之介「羅生門」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「羅生門」は、1915年、『帝国文学』誌上で発表されました。しかし、作者の自信にも関わらず、この作品は発表時、ほとんど反響を得ることができませんでした。芥川が文壇デヴューを果たすのは、翌年、「鼻」が師である夏目漱石に激賞されて以後のことになります。以下、詳細なあらすじと、作品の補足(あるいはノート)です。...
View Article芥川龍之介「運」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「運」は、1917年に発表されました。1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことをきっかけに、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」で文壇デビューを果たしました。この頃僕も文壇へ入籍届だけは出せました。まだ海のものとも山のものとも自分ながらわかりません。(原善一郎宛て書簡/1916年)今回の「運」は、その二作の後に書かれた、芥川のかなり初期の頃の作品と言うこと...
View Article芥川龍之介「私の文壇に出るまで」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「私の文壇に出るまで」は、1917年8月に発表されたものです。この頃の芥川は、前年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことで、「芋粥」や「手巾(ハンケチ)」で文壇デヴューを果たし、新進作家としてのスタートを切り出した時期にあります。しかし、1917年5月、芥川はすでに創作集『羅生門』を刊行しており、芥川は以下のように語って、自信を示しています(「『羅生門』の後に」/...
View Article芥川龍之介「ひょっとこ」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「ひょっとこ」は、1915年に発表されました。同年、「羅生門」が『帝国文学』の十一月号に掲載されていますが、今回の作品は遡って、同誌の四月号に載ったものです。これらの二作は、「羅生門」をも含めて、発表当初にはほとんど反響を得ることができませんでした。芥川が新進作家として注目されるのは、「鼻」(1916年)が師の夏目漱石に認められた縁で、「芋粥」や「手巾(ハンケチ)...
View Article芥川龍之介「孤独地獄」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「孤独地獄」は、1916年4月に発表されました。前年の「羅生門」が意外にも反響を生まなかった芥川ですが、1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことで、「芋粥」、「手巾(ハンケチ)」で文壇デヴューを果たすことができました。今回の「孤独地獄」は、「鼻」(2月)と、「芋粥」(9月)、「手巾」(10月)との間に発表されたものですが、その知名度に反して、芥川の生涯の苦...
View Article芥川龍之介「道祖問答」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「道祖問答」は、1917年に発表されました。前年の「鼻」が師の夏目漱石に認められた芥川は、『新小説』に「芋粥」を、『中央公論』に「手巾(ハンケチ)」をに発表して、文壇デヴューを果たしていました。1917年1月、「MENSURA ZOILI(メンスラ...
View Article芥川龍之介「老年」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「老年」は、1914年に発表されました。当時、芥川は東京帝国大学文学部英文科に在籍していました。第三次『新思潮』に掲載された「老年」は、作者の作品で初めて活字化されたものなので、これを処女作とすることもできます。初期の代表作「羅生門」は翌1915年、「鼻」が1916年の発表なので、今回の作品はそれらよりも、更に早い時期のものと言えます。以下、詳細なあらすじと、作品...
View Article芥川龍之介「手巾」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「手巾(ハンケチ)」は、1916年、『中央公論』誌上に発表されたものです。すでに、1915年に「羅生門」を発表していた芥川は、翌1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことをきかっけに、「芋粥」(9月)と「手巾」(10月)を発表する機会を得ました。芥川が新進作家として文壇に登場したのは、これら二作によってでした。今回の「手巾」は、『武士道』の新渡戸稲造をモデル...
View Articleインドの人口が世界第1位へ! 2023年半ば
インドの人口は世界No.1!2023年、インドが人口世界第一位の国となりました。 正確に言うとね?2023年中頃、推計値で中国を上回る...... その推計値は、14憶2860万人。中国の人口を290万人上回る数字だとか。 中国の人口は減少2022年、中国の人口は減少した。これは、1961年以来初めてのことであった。 減少は一度きりのものではなく、これから、中国の人口は減り続ける。...
View Articleザンビア 約47.6万年前の木造構造物!?
約47.6万年前という年代興味深い発見が報道されました。アフリカ南部の国ザンビアで、約47.6万年前の木造構造物が出土したのです。 この報道のどこに興味深い点があるのじゃろうか? それは、約47.6万年前という年代にあります。この年代は、ホモ・サピエンスが誕生した約20万年前よりも古いのです! 出土した木造構造物の制作者の正体は、約70万年前から20万年前のホモ・ハイデルベルゲンシス......!...
View Article芥川龍之介「鼻」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「鼻」は、1916年2月に発表されました。この作品は師の夏目漱石に激賞され、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」を、それぞれ『新小説』と『中央公論』に発表する機会を得ることができました。同作を発表した第四次『新思潮』に併せて掲載された以下の文章は、芥川の自信をよく表していると言えます。僕はこれからも今月と同じやうな材料を使つて創作するつもりでゐる。あれを単なる歴史...
View Article芥川龍之介「松浦一氏の「文学の本質」に就いて」 あらすじ/ノート
1916年1月、芥川龍之介(1892~1927年)は『読売新聞』上に、「松浦一氏の「文学の本質」に就いて」を発表しました。発表の時期としては、1915年11月の「羅生門」よりは新しいですが、「鼻」が翌1916年2月の作品なので、その少し前に発表されたものと言えます。松浦一(はじめ)氏というのは、当時芥川が在学中であった東京帝国大学文学部の講師で、仏教信仰を基礎とした文学論で知られています。全集の中で...
View Article芥川龍之介「芋粥」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「芋粥」は、1916年9月に発表されました。この作品は、鈴木三重吉の『新小説』誌上に掲載されました。回覧雑誌や同人雑誌ではない一流雑誌に載った作品としては、初めてのものです。掲載のきっかけは、同年2月の第四次『新思潮』に載った「鼻」が、師である夏目漱石に激賞されたことでした。これによって、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」を発表する機会を得、文壇デビューを果たす...
View Article芥川龍之介「猿」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「猿」は、1916年9月に発表されました。同日には、芥川の「芋粥」が公の雑誌『新小説』誌上に発表されています(今回の作品は、同人雑誌の第四次『新思潮』に掲載)。同作は芥川の最初の単行本『羅生門』(1917年5月)にも収録されており、初期の良作の一つに数えることができます。内容的には、軍艦内の盗品事件をきっかけに、私たちがいかに自然な同情心を失いがちであるかという問...
View Article芥川龍之介「父」 あらすじ/ノート
芥川龍之介(1892~1927年)の「父」は、1916年5月に発表されました。同年の2月には、「鼻」が発表されています。「鼻」は、師である夏目漱石の激賞を受け、「芋粥」(9月)と「手巾(ハンケチ)」(10月)の二作で文壇デヴューを果たすきっかけとなりました。今回の「父」は、芥川が中学四年生であった時の、能勢という友人のエピソードを回想したものです。同作は翌1917年5月に刊行された単行本『羅生門』に...
View Article芥川龍之介の生い立ち 作家の形成
芥川龍之介(1892~1927年)と言えば「羅生門」が最も有名ですが、この作品が発表されたのは、1915年11月のことです。しかし、作者の自信に反して、「羅生門」は発表当初には、ほとんど反響を得ることができませんでした。芥川が新進作家として文壇に登場するのは、翌1916年2月の「鼻」が、師の夏目漱石に激賞されたことをきっかけとします。以下、芥川龍之介の生い立ちとして、その幼少期から、東京帝国大学在学...
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